第3回ペコりーずマーケット
2月 24日
こんにちは!(*^-^*)
事務員の露木です
2月20日金曜から23日の月曜まで加療のためお休みを頂いておりました
ですが,元気です(^^ゞ
土曜日は楽しみにしていたペコりーずマーケットの日でしたが,当然行けませんでした
どうしても,美らく家さんが作っている髪留めが欲しく,代理人に購入に行ってもらいました
欲しかったのはこれ!
(画像は美らく家さんホームページより拝借しました)
思っていたよりもモチーフが大きかったものの可愛いです(10センチくらいあるかな)
孫の髪に付けてみたくてね
来週にならないと逢えないので,セットしたらアップします
もうどれも可愛いのです
お雛様は季節ですね
実物をスリスリしたかった
前回購入の箸置きの桜に続いて,梅の花が我が家にやってきました
丸みが何とも言えないです( ´▽`)
お初に見た(間違っていたらごめんなさい)焼締縄文焼に可愛い子たちを発見したと購入してくれました
外出ができない私にとってとても癒やしの顔です
ヒツジはツヤがあり,猫はツヤがないの
味わい深いのです。やはりスリスリしちゃいました
ぺこり行けませんでしたが,満喫はしました
そんな昨日の月曜,葉書が来ました
お気遣い頂き感謝です
このブログもしかして,読んでくれているのかな?
代理人が名前を書くと法律事務所の!と言ってくれたとか
来月は必ず行きます!
歴史と地理と茶臼山と妻女山
2月 9日
みなさん,こんにちは。弁護士の福本昌教です。
さて,唐突ですが,私は,小中学生の頃,地理という科目が嫌いでした。日本地図や世界地図を見て,山脈や川や台地や湾の名前を覚えたり,気候や主要産業を覚えたり。とにかく断片的な情報を暗記しまくる科目と勘違いしていたせいか,脳が受け付けない科目となってしまいました。
一方,私は,歴史,特に日本史は好きで,なんの苦も無く,年号や人物名や事件などを覚えることができました(「なんの苦も無く」はちょっと言い過ぎでしょうか。。。)。
そんな私ですが,大学生や社会人になって,日本のいろいろな地方や海外に旅行に行けるようになってみると,地図を見るのが楽しくなってきました。同時に,歴史を理解する上では,地理が理解できていると,「なるほどね!」と納得できる場面も多いことに気付きました。
なぜ,突然このようなことを書き出したかというと,先日,文庫本で「軍配者シリーズ」(富樫倫太郎著,中央公論新社)を読みまして,川中島の戦いの場面で地理がわかっていた方がおもしろいなと実感した次第だからです。
この「軍配者シリーズ」は,北条早雲の存命中から川中島の戦い(第四次)までを,史実とフィクションを織り交ぜて書かれた物語で,とてもおもしろく,最後まで一気に読める作品でした。
で,川中島の戦いですが,例えば,
「長尾(上杉)軍はその一部を善光寺に残し,本体は更に南下し,妻女山に布陣した。これに対して,武田軍は,長尾軍の北に布陣し長尾軍の退路を断つという方針をとらず,あえて茶臼山に布陣した。その後,長尾軍が海津城(松代城)を攻める気配を見せたため,武田軍は,茶臼山から長尾軍の布陣する妻女山の前を通り過ぎ,海津城に入った。武田軍は別働隊を組織し妻女山に夜襲をかけたが,それを察知した長尾軍は,夜陰に乗じて雨宮の渡しから千曲川を渡り,八幡原において,武田軍に襲いかかった」
というような記述があった場合(この記述が史実と一致しているかどうかはさておき),善光寺,茶臼山,妻女山,海津城の位置関係が分かっていると,「なるほどね!」と,よりおもしろく本を読むことができると思います。
千曲川と犀川が合流する点一帯の三角形の地は川中島と呼ばれますが,当時は高い建物もなく,田畑が広がる見晴らしのいい場所だったと思います。その地で,両軍合わせて2万以上の軍兵が戦ったわけですから,大変な戦だったのでしょう。
それにしても,電車も自動車もない時代に,武田軍は甲府から,長尾軍は越後(春日山城)から,わざわざ信州まで来て激闘を繰り広げるなんて,本当に「ごくろうさま」といったところでしょうか。大将はともかく,一兵卒にはたまったものではありませんね。
そんな雑感をもって,唐突に書き出した今回の投稿は,唐突に終わります。ではまた。
(写真は,八幡原史跡公園の信玄謙信一騎打像)